別居

黒服時代は本当にきつかった、、、泣

ほぼいじめを食らってました。

ここの部分はまたの機会に。

 

黒服を初めて3ヶ月ほどした時。

嫁からラインが入りました。

「妊娠してる。これ。」と言って妊娠検査薬の写真がきました。

この気持ち、男性ならわかると思うのですが、

なんとなく母親?みたいな雰囲気があったのですぐにわかりました。

私はすごく嬉しかった。

父親になる自信よりも全てが嬉しかった。

嫁の全てが愛おしく思えました。

こんな素晴らしい気持ち、こんな言葉では表せない気持ちは人生初でした。

そこから3ヶ月ほど経ったある日に嫁の父、母に私の借金のことを告白しました。

二人はゆっくり返して行ったらいい、とりあえず私を実家に住ましてくれる、

介護の仕事をしないか。との話をいただきました。

私自身、介護の仕事にすごく抵抗がありました。

姉を病院のショートステイ利用中に亡くしているからです。

 

私には3歳離れた姉、15歳離れた弟がおり3人兄弟です。

その姉は3歳の時に交通事故に遭い脳性麻痺で寝たきりでした。

母はこのことを今でも後悔しており、自決はしないけど早く逝きたいとほぼ顔を合わす度に言っています。

姉がなくなってから家族のバランスが崩れたと僕は思っています。

亡くなった時も嫁が必死に支えてくれました。

未だにあの時の時間、空気、会話、全てが、全てがフラッシュバックします。

 

で、介護の仕事の話に戻りますが、嫁の父から色々説明を受け入社することになります。

私自身、嫁のそばにいて何かしなければならないとわからないまま必死に動いていました。

そこから1ヶ月ほど感覚が空き介護の仕事に行きます。

仕事に行って帰って嫁の話を聞き、産婦人科でのことを聞く。

この時が本当に充実した日々を送っていました。

嫁も初めての事、これからの事に充実していただろうな。と思い返すと、

幸せな気持ちになりますね。今こんなんですが。。。笑

嫁はお腹が張りやすく、つわりなどは本当に皆無って感じで、

妊婦生活に特に困った事がありませんでした。

ただ、性生活には私は困りましたけど。笑

嫁の実家に住むのはそこが大変でした。

トイレで自分でする以外ないんですもん。笑

そこが唯一しんどい部分でした。

あ、嫁の妹がいるんですが妹もしんどかった〜。笑

その話はまた次回にでも。

そんなこんなで嫁の実家に住みながら、毎日をこなして嫁と子供の名前とか、

男の子、女の子どっちかな〜とか、将来の話とかしながら毎日を送っていました。

今回はこの辺で。

次回は介護の話、子供の誕生を書きたいと思います。

またよろしくお願いします。

ではでは。

 

別居

前回書いたいいバイト。

それは北新地でのバイト。

その当時は自分より偉い人より話を聞きたい。

企業の社長達の話を聞きたいと思い

新地でのバイトを決めました。

ただバーのバイトでそこのバーは

店員が呑んで請求額を増すって感じ。

悪く書きましたが、お客様の「一緒に呑もう」と言われてから呑ませて頂きます。

ただ、僕はお酒が本当に弱いです。

缶ビール350mlで酔えるほど。笑

でも、次のステップの為、毎日必死にバイトしました。新地は土曜日、日曜日がだいたい休みです。

ただ遠方に住んでいたので、寝る時間が本当にありませんでした。

朝の5時まで仕事で

帰って7時。仕事出るのは15時。

かなり体力的にしんどかったです。

お給料も少ないですし。

その時の嫁は居酒屋でバイトしてました。

僕は週末は嫁の実家に転がり込み、

平日の大半も嫁の実家にいました。

そんな先も見えない毎日の中、

嫁が言いました。

「このまま付き合いを続けるなら責任取ってもらう。別れは考えてない」

からしたら借金はあるのに、

こいつやばい事言うてるなってイメージでした。

嫁とはその時に4年間ぐらい付き合い、

ほぼなんにも隠す事はなかったです。

ですが、私は借金の事あるからって

はぐらかしても「なるようになる!」と、

当分言われ続けました。

さすがに、僕もそのポジティブ?な気持ちになり、できちゃった婚しました。

その時の事は今でもよく覚えてます。

嫁からの妊娠したって話を聞いてすごく嬉しかった。ただお金の不安がすぐ襲いましたが。

それからバイト先で黒服の仕事しないか?って話を頂き、黒服の仕事(ほぼ正社員)を始めます。バイトの話はまた今度詳しくしたいと思います。黒服の話も!

今回はこれぐらいで!

次回もまた読んでください!

別居

2年ぐらい自分の店舗を経営していたある日、

事件が発生します。

それは、私の車がローンを払えず回収されてしまいました。

3ヶ月滞納していましてもう借りれるところもありませんでした。

回収をしていただき、150万ぐらいで売れたと聞きました。

これで借金は600万から450万に減りました。

ですが、仕事に行く足がありません。

なので、飛びました。3ヶ月滞納は先ほど書きましたが、

3ヶ月お給料がなかったからです。

嘘だと思うでしょう?ほんとです。

売り上げがなく本当に3ヶ月お給料なしでした。

なので、その当時、命より大切な車をなくしました。

もう自暴自棄になり、仕事を飛び、なんとなく大阪でネットカフェなどで

泊まり、昼間はパチンコ等をする生活を1ヶ月ほどしておりました。

その生活が終わったきっかけが嫁のおかげでした。

その当時、自分の親以外絶対に自分の弱いところを見せるのが嫌で、

お金、権力、態度などで必死に本来の自分を隠していました。

全てが落ちるところまで落ち、自分でも生きる意味もわからずただ逃げていました。

こんな惨めな男に嫁は手を差し伸べてくれました。

嫁の説得でとりあえず、嫁の実家に帰ることになりました。

帰ってからが大変でした。嫁の家族がいる時もいない時もずっと部屋でこもっています。

他人の家で引きこもりです。そこから1ヶ月ほど生活をした時に、

流石にまずいので家に帰ります。

帰ってもニートですが。何もする気がなくただただニートしていました。

今思うとあの生活が25年間の人生に置いて1番しんどかったかもしれません。

そこから自分の家でも1ヶ月ニートをしてから流石にお金もないのでバイトを

しようと思い探し始めた頃に自分のしたいいいアルバイトが見つかります。

次回はこの話を書きたいと思います。

また読んでください。

ではでは。

別居

前回の続きですが、

嫁と4年ぐらい交際が続いたある日、

私のバイト。

バイトと言っても私の親が

コンビニ経営してたので、自動的に店長になっていました。

そのある日に2店舗目の話がきました。

もともと親は2店舗やる予定で、仕事をしてきたので、前向きに考えていました。

ところが、私の使い込みでその時点で、

200万ぐらい借金がありました。

使い込みで150万ぐらい、アコム等に借りて、

お金を戻しても、結局150万以上になり、

その時に、車も新車でローンで買っていました。

今思えば相当バカでしょ?笑

私も書きながら呆れます。

お金の使い所は、パチンコ、風俗、外食、買い物…

嫁に尽くしたお金も…

あの時に戻れるなら絶対しませんよ。

あの時は外面を第一に考えていました。

頭が悪いです。

2店舗目の話が来てる中こんな話になると

2店舗目の話がなくなるので、

母親が使い込みでマイナス分を貸してくれました。

おおよそ100万…

そして、2店舗目を営業する際、嫁と私の

二人が専従者になりました。

しかし嫁は前回書いたように、仕事が続きません。

3ヶ月ぐらいで辞めました。笑

3ヶ月の間に嫁も車をローンで買っており、

私にお金を借りに来てました。

私の2店舗は売り上げがなく、3ヶ月給料0円とかザラにありました。

じゃ何処からお金を貸してたか。

またレジのお金から借りました。

借りた合計が80万ほど。

これで、350万ほどになりました。

その80万は祖母から借りました。

本当にクソ野郎です。

そこに私の車のローンも200万ほどあり、

お先真っ暗…

そして、2店舗目が2年ほどやってた時、

また事件が起こります。

今回はこの辺で…

私はただのクソ野郎。

もう救いようがないかもですが、

また読んで下さい。

ではでは。

別居

前回に続き、別居の件からなりそめになりますが。笑

書いていきたいと思います。

前回のことがあり、嫁と渋々付き合うことになりました。

私は1ヶ月で絶対別れようと思っていました。

こんな付き合い方初めてでした。

私は当時、22歳でしたが22年間で初めて「この子と付き合いたい、ヤりたい」と

思わず付き合う事。笑

正直好きでもなく、嫌いでもなく、ただ世間知らず。

私も未だに世間知らずですが....笑

その世間知らず具合に私は私なりの考えを嫁に話てました。

そこで嫁がまた恋に落ちたと言っていました。笑

3歳しか変わらんのに大人の考えとか思ってたみたいです。笑

ですが、私は1ヶ月で別れようと思っているので、

気軽なものです。笑

付き合いを初めてから、約1ヶ月のある日に事件が起こりました。

嫁が私の家に泊まりに来ていて私も朝から仕事、嫁は帰るという日の朝。

前日に、嫁がディズニーが好きなのでエッグチョコのディズニーのものが、

ありました。私は、寝る前にこんなところにチョコを置いていたら溶けるから、

処分しといてと伝えて朝のバタバタをこなし仕事に行きました。

仕事から帰ってくると、見事にそのチョコレートが溶けていました。笑

すぐに嫁に伝えてもう私はここぞとばかりに別れます。笑

別れ話になり、私の中では責任果たしたぞ!!!とばかり思っていました。笑

嫁から泣きながら謝罪があり、また私の親友にも戻ってあげたら?と

話があり、1週間ぐらいしか別れていません。笑

こんなオチあります?笑

で、またなんやかんや交際が始まりました。笑

そこで私も改心?して嫁に向き合うことになりました。

それからも何度も別れては戻りを繰り返している中、約4年過ぎました。

ある日、あることが起きました。

 

今回はこの辺で。

また読んでください。

ではでは。

別居

今回は、嫁の事を書きたいと思います。

嫁は25歳で、今考えると熱しやすく冷めやすいタイプです。

仕事もなかなか続かず、3ヶ月続くかも怪しいタイプです。

自分の好きな事はしてますが、特に上を目指すタイプでもないです。

嫁と知り合ったのは今から7年前。

アルバイト先で5下の嫁が入ってきました。

当時の嫁は遅刻はするは接客業にも関わらず、無愛想でよくクレームが来ていました。

よく一緒の時間帯に仕事をしていて自然と会話が出来ていましたが

嫁のプライベート(男性問題)は正直終わっていました。

付き合って長くて3ヶ月、付き合う前に性関係を持つ、すぐに異性の事を好きになる。

実際、私にも3年間付き合ってと言われていました。

なぜ付き合ったかというと、私は正直上記に書いた通りあまりよく思っていなかった、

私自身以前の彼女に未練たれたれでした。笑

その事を嫁にも伝えていましたし、それを理由にお付き合いを断っていました。

付き合いが始まる頃の夏に、私は友達とバイト先のイベントに参加していました。

イベントには嫁もお客さんとしてきていて、私好みの格好をしてきた等の事を

言っていました。

その場面も「いや、ただの巨人やん。」と冷めた意見を言っていました。

そのイベントが無事に終わり、働いていた友達と飲みに行くことになり、

かなり酔っていて車の運転と代行を嫁に頼みました。

嫁がそのまま私の家に泊まることになり、私の横で寝ることになりました。

私も嫁も酔っていましたが、関係を持つことは私自身、嫌でしたのでそのようなことは、ないようにと心に決めていました。

ですが、お互い寝るにつれて寝返りの際、お互いの手が局部に当たっていました。

私は正直に謝り、事実をおもしろ可笑しく嫁に言いました。

ここで、私も男性なのでこのままだと関係を持ってしまいそうなので、

かなり離れたところで寝ました。

それから2〜3日後、私の一番の親友(一緒のバイト先)にバイト中に昨晩の事を、

言われました。

そこで、友達から1ヶ月でもいいから、責任を取るという意味で付き合ったらと言われました。

今考えると、なんの責任やねん。と、この事を書きながら笑えます。笑

今回はこの辺で。

次回はこの続きから書きたいと思います。

 

別居

前回書いたみたいに、現在別居中です。

経緯なんですが、私は元々お金をよく使うタイプです。

使ってなんぼと言う考えで、お金で買えないものはないと今も思っていました。

(現に家族というものがなくなっています。)

嫁は、お金がある時は穏やかでお金がなくなってから支払い等を

切羽詰まって言ってくるタイプです。

 

今回の別居のきっかけは今から約1ヶ月前に私が言葉にしたのがきっかけでした。

その言葉が、

「このまま行ったら離婚がリアルに見える、もう少し改善(コミュニケーションを取ろう)しよう。」がきっかけだと私も嫁も思っています。

その頃は本当に会話もなく、こちらが何か子供の為、嫁の為に、

どこか行こう、どこかに食事行こうと言っても、「無理、また今度」

こんな感じの会話で、会話のキャッチボールが出来ていませんでした。

元々、私は15歳まで父親、母親、姉の4人家族で育ちました。

父はお酒に酔うとすぐに暴力。

母は姉の介護。

父、母はコンビニ経営。

姉は3歳の時に交通事故で脳性麻痺になり体が動かせない状態でした。

私は10歳から野球をしていました。

この家族の夜が今思うと終わってました。

先ほど述べた通り、父がお酒に酔う→野球で打てなかった私に暴力→母がかばう→父が私から母にターゲットを変える→警察出動。

こんな毎日でした。

だから私が家庭を持った時はこんなことにしたくない、

子供、嫁に手をあげるなんて死んでもしませんでした。

ただ、普通に3人家族で笑いあって日々を過ごしたいだけ。

笑い合うには何かの外部要因(どこかに行く等)がいると思っていました。

毎日同じことで過ごしてたらマンネリ化になると。

だから、借金があるものの提案をしていました。

これがダメだったと今思います。

自分の立ち位置、稼ぎを把握していなかったと言っても過言ではありません。

現に嫁と子供が出て行ってお金の仕分けをしてみてよくよくわかりました。

情けないですが本当に調子に乗ってたなと。

次回は嫁側の事を話したいと思います。

ではでは。